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SHINOBAZUコラム74
2003.7.30
清宮質文 「行手の花火」
小倉 敬一
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清宮質文「行手の花火」
1981 木版画
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木版画家・清宮質文に「行手の花火」という作品がある。夜のとばりにつつまれたなかに、地平線へ向かって真っ直ぐ道がのびている。道の両側には、人の魂を象徴するかのような火がもえている。そして、その彼方には、はかなく一瞬に消え去る花火が一つ上がっている。
それは強い印象を与える作品ではない。しかし、観る人の心に深く静かな余韻を与えてくれる。
3年前の1月、1年間の闘病生活の末、天に召された妻はこの作品がとりわけ好きだった。入院中におきた一つの出来事で、今も私の心に深い傷として残っている苦い想い出がある。それは花火にまつわることである。
1999年1月、私は医師から妻の病気が悪性の脳腫瘍であり、余命が1年から1年半位であろうと告げられた。以来、仕事帰り・休日と、毎日の病院通いが始まった。妻のいる病室へむかう足どりの重さに、何度そのまま帰って来てしまおうと思ったことか。帰りのバスの中で何度涙を流したことか。私は身も心も疲れ果てた。妻は調子の波はあったものの、徐々に病状が悪化していった。それでも体調の良い時には色々の話ができた。そんなとき将来訪れるであろう運命が、現実のものとして私には信じられなかった。
7月30日、この日、毎年大宮市(現・さいたま市)の見沼田んぼでは、花火大会が開かれていた。妻の入院していた病院は、そのすぐ近くにあった。そのころの妻は近くの物もほとんど見えず、寝返りさえできない状態になっていた。その日も、いつものように妻が夕飯を食べるのを手伝い、花火が間近に上がっているのが見えた。
翌日、「昨日の花火はきれいだったね」と、私に話しかけてきた妻のことばを聞いたとき愕然とした。花火は全く見えないだろうと思い、そのまま帰ってしまったのだが、看護師さんがベッドをあげてくれたので、おぼろげながらも病室の窓から花火が見えたのである。二度と見られないであろう花火を、もう少し待って一緒になぜ見てあげられなかったのか、私は悔やんだ。
妻の没後、「行手の花火」を手に入れる機会が訪れた。その時、どうすべきか私はひととき悩んだ。その作品を買えば、当時の思いが胸をよぎるであろう。しかし、それでも私は買いたかった。二人だけの花火を見るために。
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