SHINOBAZUコラム110
2006.6.13

板倉鼎という夭折画家 
荒井 一章



板倉 鼎「房総風景」油彩 P15

 

千葉県出身の夭折の画家に板倉鼎(1901-1929)がいる。パリ留学中28歳で亡くなっているが、すばらしい作品を残した。バブルの一時期、千葉県松戸市は市立美術館構想を発表した。その名を“シルクロード美術館”といっていた。そして5000万円でガンダーラの石の彫刻を買ったことが新聞に載った。なぜ“シルクロード美術館”なのか。地元選出の県会議員の発想に起因していることがわかった。当時東博の課長をしていた人がご当地の出身で、その方を館長に据えれば“シルクロード”をテーマにしている超有名画家の作品群を館の中心コレクションに集められる―という何とも安易な考えであった。私はシルクロードの話はともかく、美術館構想があるなら、その中に若くしてパリに死んだ板倉鼎をぜひ館の中心に取り上げてもらえないかと、知り合いの女性市議を介して、当時の市長に面会を求め、幸い会うことができた。市長曰く。板倉鼎の作品は5点ほどすでに持っている。それで十分だという。私はしつこく<板倉鼎の部屋>を提言していたのだが、農夫然とした市長は、あまり芸術への関心はなきに等しい感じだった。この話はこれで途絶えた。

不忍画廊には板倉鼎の1922年頃の房総風景(15号)があり、パリへ渡る前の作品だがなかなかの力作である。海の向うに大島が描かれている。この頃、鼎は歌人の原阿佐緒が写生先の南総保田に住んでいて知り合っている。
鼎の美術学校時代の同窓生に、岡鹿之助、野口謙蔵がいる。とりわけ岡鹿之助には世話になったようだ。パリの下宿の世話もそうだし、鼎が急逝の折りも、葬儀のことなど面倒をみている。このたび実妹で鼎の作品を保持してきた弘子さんも97歳となり、松戸市に寄託せざるを得ないことになったようだ。鼎の姪に当たる神崎夫人が寄託の手続きをとられたようだが、千葉県松戸市の生んだ青春の画家・板倉鼎に、行政はどんな光を与えてくれるのだろうか。

私は千葉県生まれの画家では最もすぐれた芸術家と思うのだが・・・。



あらいかずあき/画廊主

 


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