SHINOBAZUコラム112
2006.7.11

7月12日から始まる「<没後30年特別展示>モノクロームの詩人 駒井哲郎展」によせて、美術家・作家である北川健次先生から一文を寄せていただきました。駒井先生との思い出、そして北川先生の制作姿勢が綴られています。現在、画廊ウィンドウ(TOG)では、駒井先生の今回期にあわせて銅版画、BOXオブジェなど6点による「北川健次Selection」展を開催しています。ぜひあわせてご高覧ください。

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モノクロームの詩人 に寄せて
北川 健次



北川健次「姉妹」1973年、銅版画

池田満寿夫さんのプロデュースで、私が初めての個展を開催したのは24歳の時であった。池田さんが序文の中で、「間違いなく新しい才能の出現である」と書いて頂いたお陰で、作品は全て完売となり、二週間の個展は成功裡に終わった。最終日には、「今後も作品を全て買取っていく」という画廊の申し出もあり、帰宅した私は、プロの版画家でやっていく決心を固めたのであった。その日の夜半に知人から一本の電話が入った。駒井哲郎さんが亡くなられた事を知らせる訃報の電話であった。

駒井さんは版画を志す学生に対して、自らの目線を同じくする人であり、その自信ゆえに、上から物を言う人ではなかった。しかし、一度だけ例外の時があった。その事を記そう。
私が「姉妹」という作品を作った時、真っ先に見て頂いたのは駒井さんであった。多摩美術大学の地下にある薄暗い制作室で、私と駒井さんの二人きりであった。夏の暑い盛りであったかと思う。駒井さんは作品を見るなり興味を示してくれて、細部を眺めながら「北川君、この作品はタイトルは何というのですか?」と静かに言われた。
「<姉妹>というタイトルにしようと思っています」と私が答えた。
「<姉妹>?それはいけません。私がつけてあげますから<双生児>というタイトルにしなさい」と、やや強い口調で言われた。<双生児>という毒を持った言葉は、駒井ワールドの文脈であり、シンメトリーに対する非対称を偏愛する私の文脈ではない。それに<姉妹>というタイトルは三島由紀夫の『偉大なる姉妹』に登場した異形な姉妹のイメージに対する私の挑戦であり、ここはいくら相手が先達でもゆずれない。
私は、「やはり<姉妹>にします」と話した。すると駒井さんは頑固な若造めといわんばかりに、いつもより低い声で「北川君、私はタイトルはうまいんですよ」と話して、ニヤリと笑われた。私は答えた。「せっかくの御言葉ですが駒井さん、タイトルなら私も少しばかり自信があります。」

私がこだわった<姉妹>というタイトルには、版画にからめた正面性と幾何学的構成の暗喩がこめられている。そして、駒井さんの<双生児>という着想には、宿命めいた闇の湿った叙情が見てとれよう。一点の作品から、かくも異なった資質が反映するひとつの例であり、駒井さんのイメージと言葉との関係がそこから私には浮かび上がってくるのである。

7月12日(水)から不忍画廊で開催する駒井さんの個展は没後30年の特別展である。30年、―本当に時が経つのは早いものであり、それを思えばいくつもの感慨が立ち上がる。近年、私は精力的にオブジェや銅版画に挑んでおり、今は写真にも取り組んでいる。しかし、本当に今の私の仕事を見て頂きたいと思っているのは上述した駒井さんであり、池田さんである。それが叶わないことに、無上の虚しさを覚える事が、最近ますます多くなって来たように思う。


きたがわけんじ/美術家・作家

 


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