呉亜沙個展 “迷子”
[ 2016年7月16日 ]

中央立体:「迷子」80×82×h228cm
平面左から:「迷う」油彩 F80、「Self portrait」油彩、レースほか SM、「the others」油彩 F20
第Ⅱ部 新作個展 ”迷 子”
会期:2016年8月15日(月)~9月3日(土) 日祝休廊
時間:11:00~18:30
★在廊日 8/15(月)、27(土)、9/3(土)
新作は二人の子供の内、特に「娘」が作品の重要なテーマ。 制作と子育て、両立しなければならない物理的な拘束すらも軽やかに作品に取り込んでいます。
「自分の身近な存在である娘という他者を見つめる中で、彼女がまた新しい他者を生み出す存在であるという意識から生まれた作品たち。
人間て常に迷い彷徨い続ける迷子だと思いながら制作しました。 私も娘も迷子。みんな迷子になりながら進んで行くのだと思いました。呉亜沙」
油彩・立体/インスタレーションによる、新作20点ほどの展示になります。
※新刊 当画廊6年ぶりの個展を記念し -第Ⅱ部-の会期に合わせ「呉亜沙ポストカード集"迷子”」を刊行。
12枚セット、テキスト収録、限定100 ¥1,080

『呉亜沙ポストカード集“迷子”』(8.15刊行) ¥1,080

【呉亜沙 PAPER WORKS展】
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左:生まれたかった私 2016 油彩・キャンバス F50 右:新宿 1999 油彩・キャンバス F15
第Ⅰ部 最初期作品から新作へ
会期:2016年7月25日(月)~8月3日(水)日祝休廊
時間:11:00~18:30
女子美術大学~東京芸大大学院時代(1999~2003,4頃)の黄白色地に動物・人物を線描きする初期作品を中心に、新作(プレビュー)と組合せた企画。
在学中に急激に人気アーティストとなり現在まで駆け抜けてきた呉亜沙の初めての(プチ)クロニクル展です。 初紹介の最初期作品ばかりのこの第Ⅰ部は、呉亜沙ファンにとっても見逃せない貴重な機会となります。
この15年間の成長を、作品を通して見せたい企画です。平面・立体による30点程出品。
【呉亜沙 アーティストページ】
[ 呉 亜沙 ]
第Ⅱ部 展示風景
[ 2016年8月31日 ]
スカートの奥からこの世界へ着地した子供たち。自分の握りこぶしを見つめて自分自身を自覚していく姿を私はしっかりと見ました。かつては無だった者が、今は存在していること。本当に不思議です。数十年の「人生」があり、それが次の世代へとどんどん引き継がれていく。そこにどんな意味があるのでしょう。
アイデンティティとは何だろうと考えたり、自分と他者への関心が自分の絵の表現になったり、一体私は何をしているのでしょう。満足のいく答えにはなかなか近づけません。ただ、自分が発達していく中でそのアプローチは必要であると考えます。子供を産むという経験の中で他者である我が子との一体感、混同の中で愛の根源を見つけた気がします。自分が何者であるのかという問いに対して今までで一番手応えのある物でした。しかし、そこにある依存と自立との流れの中で掴んだものがこぼれ落ちていく感覚がありました。愛する子供によって自分の存在に確信を持ったのも束の間で、問題は堂々巡りのようです。
今回の作品たちは死を抱えてこの世界へ生まれてくる私たちの事を思って作品を作りました。釈迦の話から無憂樹の木や涅槃台などのモチーフを用いています。自分が何故生まれてきたのか、答えのないその問いをこの作品の中で同じく迷子として共感していただければ幸いです。
呉 亜沙

「迷子」 2016 F100

左:「生まれたかった私」 2016 F50 右:「home」 2016 立体

左: 「Sympathy 」 2016 立体 右: 「産む人」 2016 F20

左:Babies 2012 立体 右:chain 2016 F4

maze 2016 F4

spread 2016 F0

わたしたち 2005 ドローイング
[ 呉 亜沙 ]
第Ⅰ部 展示風景
[ 2016年7月27日 ]
17年前の作品と久々のご対面。まだ21歳の頃の作品です。当時自分がなにを考えていたかというと、感情や思いつきまかせで、世界が狭く、そして小さな事にもときめいていました。17年間、沢山の個展をして、自分が作家を名乗って活動する中で対外的な表現へ変わっていったけれども、この時期の作品は内向的で誰かに作品を説明する気など全然なかったと思います。誰かへ向けたメッセージとかではなく、色合いや形、線の気持ち良さを画面と自分との関係の中で完結させています。その未熟さを今になって晒す事は非常に恥ずかしい気持ちではあるのだけれど、この時の自分に戻れないという点では大切な宝物のように思えます。もうこの時の私には戻れないのです。
_新作で描いた「生まれたかった私」は、喪服の少女と無憂樹という釈迦が生まれた場にあった木を配置して、一つの画面の中に生から死までの_時間を入れてみようと試みました。未来である死の場面で、過去である誕生を振り返るという想像の瞬間。一つ一つ未熟なものも悪しきものも人も世界もすべて愛すべき肯定的な気持ちでありたいと思うのです。
第一部はプチクロニクルという企画ということで、たまに真剣に過去の自分と向き合ってみると、ただただ前を向いて突き進むだけでは得られない落し物に気付けるかもしれません。
呉亜沙

左:「無題」2000 中央:「歩く」1999 右:「無題」1999

「Girl」 2002

左:「Escape」2001 右:「丸くなれない人」2001

「Inter space」 2004

左:「escape -pop out-」2004 右:「新宿」1999